為せば成る、為さねば成らぬ、何事も

ヨルダンのパレスチナ難民キャンプの小学校にて音楽を教えてました。

First Circle

前回までリズムを扱ってきた。

 

やはり音楽は感覚でできてしまう一面がある分、譜面が苦手だとしても読まずにやろうと思えばできてしまうこともある。

 

もちろん、感覚でできるに越したことはないと思うのだが、個人的には音楽を通して「聞く」ことであったり「読む」ことをしっかりと大切だと認識して欲しいと思っている。

 

そんなわけで今日は感覚だけじゃ叩けないリズムというものを扱おうと思った次第である。

 

扱ったのはPat Methenyの「First Circle」である。

 

youtu.be

 

ジャズ・フュージョンを通った方であればお馴染みのこの曲である。

 

イントロは22/8拍子の手拍子である。

 

今回はこの手拍子のパターンを扱う。

 

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上記の写真のようなリズムであるが323223322の頭抜きである。

 

原曲のテンポは子どもたちにとっては早すぎるので非常にゆっくりのテンポで扱う。

 

原曲を聴かせてしまうとそのスピードに囚われてしまうため今回においては原曲は聴かせずに行う。

 

ぼくはこのリズムを「おかかうめおかかうめうめおかかおかかうめうめ」と「おかか」と「うめ」の二語を使って覚えてた。

 

何かこっちの子どもたちに伝わるような言葉がないかなと考えたのだけ結局は「banana」と「muz」を使うことにした。

 

ちなみにmuzはバナナのアラビア語である。

 

 

 

実際にやってみたところ出来る子と出来ない子は如実に分かれる。

 

というよりもちゃんと白板に書いたものを読む子か読まない子である。

 

出来る子が一定数いる以上はディレクションの仕方は悪くないと思うのだ。

 

白板を見て出来ない子というのは単純に出来ないので練習するとそのうち出来るようになる。

 

が、一向に白板を見ずにひたすら手を叩くだけの子も少なくはない。

 

そういった子も自信たっぷりに「見て見て」と言ってくる。

 

今までのリズムより難しいけれどもなんとかちゃんと白板を見て欲しいものである。

 

他の科目の授業においても教科書を開くことが出来るかという基本的な動作においても生徒によって違いがあるように感じる。

 

とはいえ難しいながらにもFirst Circleの手拍子に夢中になっている子どもたちを見るとその平手は誰かを叩くために使うのではなくFirst Ciecleの手拍子を叩くためにあってほしいと願う。

 

いつもすぐに喧嘩を始めるこっちの子どもたちを見てると切実にそう思う。