為せば成る、為さねば成らぬ、何事も

ヨルダンのパレスチナ難民キャンプの小学校にて音楽を教えてました。

派遣前訓練前日にして思うこと

青年海外協力隊の派遣前訓練が明日から始まります。

 

派遣前ではありますが青年海外協力隊としての活動が明日から始まると思うと期待と不安で心はいっぱいです。

 

いつもこの手の前日の夜は眠れなくなるのですが今回はそれを見越して2日連続夜勤続きですが昼に全然寝ていないので流石に今晩は眠れそうです。

 

明日の朝に寝過ごすことだけが怖いです(笑)

 

今日に至るまで色んなことを考えたので前日に今思っていることを書き連ねてみます。

 

また訓練から帰ってきたときに気持ちの変化もあると思うので自分で比較するためにも書き残しておきます。 

 

 

たくさんの人にお世話になっている

思えば青年海外協力隊の参加にあたってはたくさんの人に支えられ、励まされることもあれば、ぼく自身のわがままだったり計画性の無さで迷惑を人にかけることも多々ありました。

 

特に母親に関しては今回の参加に関して理解をいただき、また経済的な部分でも援助をしてもらってしまいました。

 

本来なら30代といういい大人である我が身を鑑みたらちゃんと計画性をもって準備が出来ず迷惑をかけてしまいました。

 

また、今の彼女やそのご両親にも2年間という決して短くない時間を自分のやりたいことに対して使わせてもらえることに対して理解をいただき応援してもらっています。

 

彼女とは付き合ってそろそろ一年でお互いの両親とも顔を合わせこれからというときなので非常に申し訳なく思っています。

 

前職場でも2学年を担任していたので受け持ったクラスが卒業をする前に退職をしたことだけは心残りでした。

 

もちろん、自分が3学年も担任できると決まっていたわけではないけども、それでも卒業までは見たい気持ちはありました。

 

他にもお世話になったり迷惑をかけた方がたくさんいますが、そういった方々にもしっかりと報いるべく脇目も振らずに自分がやるべきことに向き合っていく所存です。

 

 

やりたかった青年海外協力隊

久々に会った友人などには「なんで突然」という風に言われることもあったのですが僕にとっては突然のことではなく昔から国際協力というものはしてみたかったものなのです。

 

早稲田大学在学時には当初模擬国連というサークルに入っていました。

 

学部での授業も国際政治学や国際法というような勉強を中心としていました。

 

でも、ぼくにとってはそれらの学問は複雑で難し過ぎた。

 

ぼくの頭が足りないこともあり、この学問がどのように人のためになるのかというのが見えなかった。

 

今、やり直せば見えてくるのかもしれないけど当時はそれが見えなかった。

 

そして、好きだった音楽の道に転向した。

 

 

 

25歳を過ぎたころくらいに青年海外協力隊の存在を認識する。

 

認識はするものの自分ができる職種は無いと思ってた。

 

ところが音楽の教員免許を取得した。

 

「音楽」という職種で青年海外協力隊への道が開けた。

 

 

青年海外協力隊をゴールにしてはいけないと思っているが早稲田大学で自分がやってきたことと全く関係ないと思っていた大学卒業後にやってきたことが線を結んだのです。

 

 

本当に行くのかというのはまだ葛藤があったりするのだが葛藤をしながらも行くのだと思う。

 

青年海外協力隊へ行った後のことも悩みではある。

 

それでも走りながら考えるしかないし、本気で物事に向かっている人には自然と道が拓けていくことも今まで出会ってきた人を見てるとわかっている。

 

 

支えられているからこそ発信したい

多くの人にぼくは支えられている。

 

直接的に励ましてくれる家族や友人たちもいれば、顔も知らない誰かがぼくを青年海外協力隊としてヨルダンに派遣するために色んなことをしてくれている。

 

最近ではSNSを通しても多くの人が暖かいコメントをくれる機会も多い。

 

そういった想いにきちんと報いるべく、自分がしていくことはしっかり発信して自覚していきたい。

 

自分がどんな活動をしているのか、それに対して自分はどう思うのか、また普通に日本に暮らしてたら見ることができない世界をできるだけ紹介していきたい。