先日、鍵盤ハーモニカを大量購入し、現在通ってる学校の両方にて各40個以上を置くことができたため授業の中心を鍵盤ハーモニカをやっています。
今までやってきた授業を鑑みても今後の授業の中心も鍵盤ハーモニカで良いと感じています。
自分にヨルダンで残された時間を考えても鍵盤ハーモニカをやって終わるかなと感じております。
そんなわけで鍵盤ハーモニカを今後どのように扱っていくのかというものを考えてみました。
どの学年も今まで音楽の経験というものはほとんど無いため学年を問わず同じルートで進んでいきます。
もちろん、学年によって能力や理解度は異なるため以下のマップがどこまで進むかというのは変わると思います。
ちなみに節々にある所感はすでに学校でやってみたものと後半WPCでやった時の感想です。
1.楽器の取り扱いやマインドなど
楽器を扱う際の前提を理解させる。
例えば、楽器で人を殴らない(これは理解してくれる)
ホースを振り回さない(これも理解してくれる)
人が演奏してる横から楽器に触らない(これがなかなかできない)
吹く時はホースを必ず使う。直接吹き込み口に吹かない(これもできない)
他人が演奏してる時は演奏しない(至難)
これは毎回根気強く言っていくしかない。
2.音名の理解
どの鍵盤にどの音が存在しているのかとその音名。
とりあえず基準のドの位置は「左から5番目の白鍵がド」という説明にしてる。
「指をチョキにして弾ける黒鍵親指の位置」という説明も試してみたけど理解に難しいようだったのでとりあえず左から5番目。
基本は32鍵でも37鍵でも左から5番目がドなのでそれで。
とりあえずそこの基準のドからオクターブ上のドまでの音名は覚えさせる。
3.ドレミを弾く
ドレミを弾く。
この段階では運指は気にしない。
指先一つの北斗神拳でいい。
ただ右手を使うようにはさせる。
意外と左手を使う子は多い。
尋ねると大体右利き。
右手は大体お菓子持ってる。
お菓子を食べながら授業を受けるというのが否定されない文化なのは理解するけどお菓子は置いてくれ。
吹き口にもスナック菓子の粉がついてる。
ドレミが弾ければ「メリーさんの羊」が弾ける。
4.ドレミファソの5音に広げる
次はドレミファソの5音まで使う。
5音になるのでここで運指の意識をつけさせる。
ドからソまでの音を親指から小指まで対応させる。
特に指を伸ばしっぱなしで弾こうとするのでなんとか関節を曲げさせる。
色々説明を試したけどこれは「ニャーのポーズ」で何人かは通じた。
齢30を過ぎた大人が指曲げて「ニャー」って言ってるのはなかなかクるものがあるけど理解してもらえるためならぼくは恥という感情を飲み込もう。
5音使えれば「ぶんぶんぶん」が弾ける。
5.ラも使う
次はラの音を使う曲をやる。
ここではヨルダン国歌である「王に栄えあれ」を扱う。
みんな知ってるし。
序盤はいい。
6小節目までだったらむしろ「メリーさんの羊」や「ぶんぶんぶん」 より簡単だ。
問題は7小節目である。
このフレーズは運指を守らないと綺麗に弾きにくいのだ。
運指の重要性を理解できるかが鍵である。
以前WPCでやった時にきちんと弾ける子はやっぱり運指を守れる子だった。
やんちゃ盛りの男の子たちが律儀に守れるかは悩ましいがそこは頑張るしかない。
6.合奏をする
2パートに分けた「かえるの歌」に挑戦する。
それぞれのパート自体は先の「王に栄えあれ」より簡単である。
問題は合奏をするという点である。
誰かと合わせるということは休符の意識もしなくてはいけない。
相手の音も聴けなくてはいけない。
この「相手の音」を聴くという行為がとても重要だと感じている。
特に現在のヨルダンの教育課程の中で人の音を聴く(ここでの音は声や話に置き換えてもいい)という行為は音楽くらいでしかチャンスがないのではと思っている。
だからこそ、曲の難易度としてはそこまで高くないが実施難易度は実は一番高いかもしれない。
ぼくと生徒がやる分にはぼくが生徒に合わせにいったりできるが子ども同士だとそうもいかない。
だからこそ、それを乗り越えた先に見えるものがあると信じている。
おわりに
まとめてしまうと非常に短いもので見る人によってはこんなの数ヶ月で終わるんじゃないのなんて思う人もいるかもしれないが、実際のところはおそらく残りの期間で上記の全てができるか怪しいし、低学年に関しては終わらないと思ってる。
どのようになるかはアッラーが決めることだし、ぼくらはそれに向かってただ努力するしかないのである。
残念なことにその次の課程をと考えた時にぼくはもうここにいない。
音楽教育がこの学校で続いて行くのであればそれは結構な懸念であったりする。
同じ鍵盤ハーモニカを来年やるとしても今の3年生と来年の3年生は違うのだ。
今年の3年生は初めてだけれど来年の3年生は1年間の経験をしているわけだ。
この取り組みを途絶えさせたくないという思いは強く、なんとかできないものかと最近よく考える。
そんなかんじ。