為せば成る、為さねば成らぬ、何事も

ヨルダンのパレスチナ難民キャンプの小学校にて音楽を教えてました。

派遣前訓練59日目 葛藤

20歳を過ぎてからというもの「泣く」という行為から久しく遠くなった気がする。

 

悲しいことがあっても泣かなくなったし、辛いこともそんなに顔に出さなくなった。

 

思い起こせば20歳を過ぎてから泣いたのは21歳のころに大学のサークルの同期に演奏力のことで泣かされたことと28歳の時に2回連続で交通事故を起こした時くらいなのではないか。

 

そんな「泣く」という行為が珍しいものになっていた自分であるが3度目の泣きを体験することとなった。

 

この日に感じたことを後で見返すためにも考えていたことを記すことにする。

 

 

アラビア語ができない

結論からするとアラビア語の単語テストが思うようにできなかったのだ。

 

東西南北のような基本的な単語は書けないし、言葉として出てくる単語もスペルがほとんど間違っている。

 

もちろんそれだけで泣くことはぼくは多分しないのだが今まで溜め込んでいた葛藤も踏まえて気持ちが爆発してしまったのだろう。

 

 

要請が希望ではないことへの葛藤

そもそも青年海外協力隊としてぼくの希望国は英語圏であるジャマイカだった。

 

要請内容も「英語圏」である「ジャマイカ」にて「大学」で「ギターを教える」ことを希望していた。

 

「英語圏」であることと「ギターを教える」ということが青年海外協力隊以降のキャリアにも繋がると考えていたし、中米の音楽を現地で触れていきたかったというのも個人的な理由である。

 

それが「アラビア語圏」である「ヨルダン」で「小学校」で「音楽を教える」という要請になってしまった。

 

このことはこの訓練所に来るまでも葛藤として存在した。

 

その葛藤を持ち続けながらアラビア語を勉強していた。

 

周囲の英語を勉強している人を横目に見ながら。

 

 

 

面接時の葛藤

青年海外協力隊を受験する際に面接があったがそこでも「英語圏以外でも良いか」、「小学校でも良いか」とは聞かれている。

 

そこでぼくは「不安はあるが大丈夫である」と答えている。

 

今、思えばそこで中米へのこだわりを主張できればよかったのかもしれない。

 

けれども、この青年海外協力隊に参加するにあたって前の職場の理解はなかったためぼくは「退職届」を出してから面接に臨んでいた。

 

つまり、協力隊に合格していなければ無職となっていたのだ。

 

そういった後ろがなかった状態では受かるために言えることは全て言うしかないと考えていた。

 

まさか第3希望まで外れるとは思ってはいなかったけれども。

 

 

選んだのは自分自身

青年海外協力隊に合格し、3月末には前職を退職した。

 

訓練は7月からだったため三ヶ月の猶予はあった。

 

今思えばそのタイミングで辞退することだってできたのだ。

 

それでも今、ここにいることを選んだのは自分自身。

 

アラビア語を勉強する時間が様々なことで取れないのも自分自身の責任。

 

 

なんのために協力隊に参加するのか

そもそもぼくの葛藤は全て「自分本位」なものなのだ。

 

青年海外協力隊の目的は決してぼくが「英語を勉強するため」でも「音楽を勉強するため」のものではない。

 

自分自身の技能を持って他の国の人々に還元していくのが目的なのだ。

 

その点でぼくの葛藤は自分自身にしか矢印を向いていない。

 

そう考えるとぼくがしたいことは「国際協力」ではないのかもしれない。

 

 

それでも関心はある

ただそれでも中東という地域は大学生の頃にとても関心があった地域である。

 

パレスチナ問題や名誉殺人などにもそれなりに問題意識はある。

 

だからこそ、辞退をせずにここまで来たのだとも思う。

 

 

前に進むしかない

いつも葛藤はしながらも「前に進むしかない」という結論を出している。

 

自分自身で決めたことだし、もう戻れないところまできた。

 

やるしかないのだ。

 

それをわかっているのにいつも同じことを繰り返し考えてしまう。

 

わかっていながらも後ろ向きな葛藤を繰り返すぼくに心底嫌気が差す。