表題の通り、青年海外協力隊を終えました。
3月より新型コロナウィルスの影響によって日本に戻り待機のオペレーションをされておりました。
最初は再び戻ることを前提とした一時帰国というオペレーションに始まり、4月は避難帰国という形式に変更され、そしてこの7月にこれからのことに関しての選択を迫られたときにこのタイミングでの終了を選ぶことにしました。
選択肢としては
1.待機延長
2.特別登録
3.合意書解除
の3つがありました。
待機延長は再派遣を前提に今の状態が続くというもの。
一応、10月を目処にまた再派遣かどうかを検討するようなのですがぼくの任期は9月で終わるため実質的に再派遣は無い。
もちろん任期が終わるまで待機状態にしてその手当をもらうこともできる。
ただし、身分が保証されて手当がもらえる以上は国内でのボランティア活動のように何かしら還元し、それを報告することを求められる。
特別登録は一度待機状態では無くなってフリーの身分になるが情勢が落ち着いた時に残りの任期で新しい次隊として派遣されるというもの。
この場合新しい派遣となるので派遣国が変わることもあります。
ぼく自身はそもそもの任期が今年の9月までなので待機延長をしても残り2ヶ月もなく、特別登録をしても任期は3ヶ月未満。
登録に関しては任期が伸びることも想定しているようではあるけれどそのタイミングはきっと1年後や2年後。
残された時間約を自分にとって有効に使うことを考えたら9月末を待たずに次の場所へと歩き始めるのが1番なのかなと思ったわけです。
先日、協力隊の同期のひとりと会って話したのですが思ったよりぼくの切り替えは人より早いようです。
既に次の場所に向けて歩き始めております。
それに関してはまた別のタイミングで話せれば。
思えば1年半、ヨルダンの生活はたくさんのことがありました。
決して長い時間ではなかったけど自分の価値観を変えていくには十分な時間だったのかなって思っています。
まだまだヨルダンのために何かしていたいという気持ちはあったりはするのですが、その一方で自分ひとりの無力さというものも感じました。
だからこそ、自分が見てきたことをなんとか次の世代に繋げて1を10にも100にもできたらいいなと思うわけです。
無念もたくさんあります。
たくさんの楽器を学校に置いた一方で結局ほとんど置くだけになってしまったこと。
もっと音楽のこと、楽器のこと、子どもたちに伝えたかった。
そして、日本に戻った時、あくまで「一時帰国」となっていたこともあり、お別れの挨拶もみんなにロクにできなかったこと。
だからこそ、いつかこの状況が改善されて、また気軽に海外にいくことができるようになった時、協力隊という形ではもうないけれどもヨルダンという場所にまた足を踏み入れることができればとは思ったりもするのです。
そんなかんじ。