ヨルダンの生活もおよそ1年と半年が経ちました。
ヨルダンで過ごす時間も任期で言えば残り半年なのですが、学校で過ごす時間となると残り3ヶ月ほどになります。
1年以上の間、2つの学校で音楽の授業を行ってきたのですが考えるのは
「自分がいなくなった後も音楽の授業は続くか」
ということ。
そして
「自分が仮にもう少し長くここにいることができたとして現状は変わるのか」
ということです。
正直に自分の実感を先に述べてしまうと「厳しいな」という本音があります。
では、逆にどうしたら変えていけるのかっていうのを少し考えてみることにしました。
「不平不満を改善提案に変え」というのはぼくの前の職場での行動理念みたいなものにあってこれを唱和するのは好きじゃなかったけどこの理念自体は割と気に入ってました。
できれば問題を出すだけでなく改善提案まで考えたいと思うもののぼく個人でできるものでは無いので今回はあぶり出すだけになるかと思います。
1.音楽室がない
学校に音楽室がありません。
最近できたばかりの新築の学校も機会があって見学させてもらったのですがやはり音楽室はありませんでした。
日本の小学校では当たり前に存在する音楽室ですがこれがないとどうなるかを説明します。
まずグランドピアノを置くことはできません。
これは想像に容易いと思います。
とはいえグランドピアノ自体を置くコストも考えるとかなり難しい点はあるのでそこは実際あまり問題に感じません。
音楽室が存在しないということは授業は教室ないしは図書室やPC教室という場所で行うことになります。
おそらく電子キーボードなどを持ち込むと思うのですがその度に教室に運びセッティングをすることになります。
電子キーボードの保管場所も生徒のいたずらなどに遭わないように倉庫になります。
倉庫の鍵を管理職から借り、倉庫から取り出し、教室に運び、セッティングをする。
授業時間は長くて40分なのですがそのうちの5分くらいは潰れてしまいます。
電子キーボードを例にしましたがその他の楽器であっても同様です。
ぼくは授業で鍵盤ハーモニカを使っているのですがおよそ40人から50人分の鍵盤ハーモニカを授業の度に教室に運ぶのはなかなかの手間です。
それで手間を感じてしまうようになると楽器を使うこと自体が減ります。
ぼくでそう感じるくらいなので音楽に慣れていない小学校の先生なら「楽器使わなくていいや」になってくると思うのです。
その状況は活動の幅を減らしていくことになるのです。
とはいえ、音楽室作るのってかなりコストですよね。
多分、現地の人からすれば音楽室作るくらいならPC教室の充実とかそっちの方が優先事項だろうし厳しいなとは思います。
2.専任の先生がいない
ヨルダンでは小学校1〜3年生の授業においては担任の先生が国語や算数をはじめとしたほとんどの授業を行います。
英語の先生に関しては専任の先生が置かれています。
ぼくが行ってる学校の片方では体育の専任の先生がいます。
専任の先生がいると英語や体育の授業は固定されます。
その時間がその専任の先生の仕事の時間となるわけですから。
一方で専任の先生がいない場合はそれ以外の科目の時間割は非常に流動的となります。
2012年から必修科された体育・音楽・美術ですがその時間で算数や国語をやるということがほとんどです。
正直いうと今まで授業としてそれらの科目を受けたこともなく、教職課程においてもそれをやってこなかった人にそれらの科目を担当させるのは結構酷だと思うんですよね。
日本における小学校の英語必修科の取り組みはあるけど同様の理由でぼくは専任の先生を置かないと失敗に終わると思ってます。
日本においてもヨルダンにおいても小学校の先生はすでに今ある仕事にリソースをかなり割いていて新しいものをやっていく余力というのはほとんど無いと感じているのです。
それでもってヨルダンの音楽教育に話を戻すと体育の専任の先生は増えているようです。
一方で音楽の専任の先生という話は全く聞くことがありません。
ヨルダン大学の学部を見たときに教育学部に音楽教育専攻みたいなのがあったのでこれから少しは増えてくるのかなとは思いつつも現状で体育教師が増えつつも音楽教師が増えないので難しいなとは思っています。
3.生徒の家庭で教具を購入する習慣がない
自分が小学生だった頃を思い出すと教室でピアニカの授業をやった記憶があるんですよね。
それでもってそのピアニカは生徒の家庭各々で購入して持ってくるスタイルでした。
生徒一人一人がピアニカを購入してくれると物凄く捗るんだけどなと思うことは自分で授業をしてて思います。
ヨルダンにて中国製の鍵盤ハーモニカであれば安価で見つけることができます。
大体15ディナール以下です。
ビッグマックのセット6つ以下の値段です。
それが高いか安いかは一度おいておきます。
今の学校においては教科書は無料で配布されます。
生徒自身が用意するのは鉛筆、消しゴム、ノートくらいです。
それ以外のものを家庭で購入するという習慣はありません。
以前、体育にて0.5ディナールの縄跳びを購入してくるようにという指示を出しても半分も買ってこなかったという話を耳にしました。
値段の問題では無いのです。
0.5ディナールという缶のコーラとそんな変わらない値段の縄跳びでこれなら15ディナールの鍵盤ハーモニカはもっと難しいのだろうと想像します。
カスタネットみたいなものも2ディナールくらいで買えるけどやっぱりそれでも各家庭でってなると厳しいんだろうなぁと感じています。
っていうか音楽でそれをやっちゃうと他の科目もやるようになっちゃうとも思うのです。
そうすると一つ一つの金額は小さくても合計で結構な金額になんてことも想像できますし、それに苦しんでる日本の家庭もあると思うんですよね。
となるとここを変えるのも難しいのかなぁと。
4.音楽教育向けの楽曲が少ない
歌の授業を行うときに悩むのが歌詞の面です。
ヨルダンで普及してるアラビア語での児童歌唱向けの音楽ってかなり少ないです。
ぼくが知ってる楽曲だと「フレールジャック」と「きらきら星」くらいです。
児童向けの音楽は確かにあります。
ただそれらは音楽教育をするために作られているものでは無いので歌い回しが難しかったりするのです。
アラブ音楽が全般的に歌い回しが難しくてシンプルなメロディラインの曲というのが本当に少ない。
これはおそらく西洋から音楽教育が流入してきた時も同じだったのかなと。
先人たちはそれをみんな必死に海外の唱歌に日本語の歌詞をつけて日本語の音に合うようにそれを作っていったのです。
「ぶんぶんぶん」とか恥ずかしながら最近まで日本の曲だと思ってましたもの。
ぼく自身も「かえるの歌」にアラビア語の歌詞をつけたり、または先人の日本人が残してくれたアラビア語歌詞のものを使ったりしてるのですが、それが本当にアラビア語の感覚と一致してるかまではわからないのです。
もちろん、先人やぼくもアラビア語のネイティブチェックを受けたりしてて言語としては正しいけどそれが必ずしも音楽的な音と噛み合っているかまではわからない
だから、それは最終的には僕ら日本人ではなくアラビア語を母語として、かつある程度音楽に精通してる人で無いとできない作業なのかなとは思ったりもします。
でも、この点は音楽の専任の先生が増えたら自然と作られていって、それが続いていけば児童歌唱向けの楽曲ってのが広がっていくのだと思う、日本の音楽教育の歴史と同じように。
これは日本と同じように西洋音楽ベースじゃ無いかもしれないし、それはそれで良いのだと思う。
だから、この点はそこまで問題じゃなくて課題はやっぱり音楽の先生がいないことかなと思います。
おわりに
なんか書いてて愚痴っぽくなってしまって「もっとお前が頑張れよ」とか「もっと工夫しろよ」と思う人もいるとは思うのですがぼくが頑張ったり工夫してもしょうがないのです。
ぼくじゃなくてその現場に立つ人がどうやったらできるのかというのを考えたくて、それを考えたときに障害は多いなと感じるのです。
正直にいうとそこまでして音楽教育が必要なのかとも考えます。
ぼくで思うのだから今いる小学校の先生はもっと思っているのでしょう。
いや、もちろん必要か不必要かって聞けば必要って答える人が多いとは思うけど現実問題としてね。
さて、これらの課題や意識を変えていくのはぼくだけでできることでは無いので、そのことも踏まえて今後残りの時間をどう過ごしていくかっていうのは考えてしまいます。
答えは出ません。