為せば成る、為さねば成らぬ、何事も

ヨルダンのパレスチナ難民キャンプの小学校にて音楽を教えてました。

授業が荒れない先生と荒れる先生の違い

f:id:SteveKaufmann:20181212061915j:plain

ヨルダンの子どもたちはやんちゃだ。

 

もちろん、日本の子どもたちもやんちゃで学校の先生というのはそれなりの工夫をしないとクラスが騒がしくなって収集がつかなくなるなんてこともあるでしょう。

 

ヨルダンの先生も日本と変わらずとても参考になる良い授業をする先生がいれば子どもたちが騒ぎ出して収集がつかなくなってる先生もいます。

 

そこで、日本での塾講師や教員だった頃も踏まえてどういう点に違いが出るのかを今日授業を見学しながら考えてメモしていたのでここにまとめていきます。

 

 

①視線が生徒を向いている

それもちゃんと全員に視線を向けている先生の授業は荒れにくい。

見られているという実感が生徒にあるのかもしれない。

 

逆に視点が常に教科書だったり黒板にある先生の授業は荒れる確率が高い。

隙ができちゃうのでしょう。

 

やっぱりデキる先生は教科書をほとんど見ない。

昔働いていいた塾の上司で教材のページ数とか全て暗記してる人とかいました。

それは極端な話だと思うけど視線を生徒に向けるための余計な要素は排除して生徒に一番気を向けるというのはとても重要なことだと思います。

 

②板書が速い

逆に板書が遅いとその間って生徒が手持ち無沙汰になっちゃうので集中が途切れて意識が違う方向に向いたりする。

 

板書が上手い人だと生徒の方向見ながら黒板見なくても書けたりする。

いわゆる「引き板書」と「押し板書」ってやつですね。

生徒に背を向けないっていうのは塾時代にむちゃくちゃ練習させられた。

 

これ出来ると生徒見て話をしながら板書が出来るようになるので隙が無くなる。

背を向けた時に子どもは何かしたりしますからね。

小学校高学年の女の子だと手紙回したりとか。

 

板書の技術は身につけて損無いと思います。

 

③今やるべきことがわかりやすい

話を聞くべきなのか、ノートに何かを書くのか等。

やることが明確であればあるほど生徒はその通り動きやすい。

 

逆に指示が明確でないと生徒はダレる。

必要に応じては指示も板書するのも有効だと思います。

 

④話が簡潔

一つの話題に対して話す時間が長くない。

雑談はあっても余計な言葉はちゃんと省かれている。

 

「そういえば」と「あー」が多い先生は生徒を眠りへ誘うラリホー使いだと思う。

 

⑤生徒が優秀だと思ってる

授業上手い先生ほど自分の生徒に対して「優秀な生徒たちでしょう?」なんて言葉をよく発する。

基本的に面でも裏でも生徒に対してポジティブな発言が多い。

 

一方で授業が荒れる先生って「うちのクラスは〜〜だから」みたいな原因を生徒に求める傾向がある気がする。

 

上手く行くときは生徒がすごいからで上手く行かないときは自分に問題がある。

もちろん、必ずしもそう言い切ることはできないけど成長するために必要なマインドだと思います。

 

これが一番大切なのではないかなと個人的には思います。