為せば成る、為さねば成らぬ、何事も

ヨルダンのパレスチナ難民キャンプの小学校にて音楽を教えています。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

 

2020年となり、ヨルダンでの生活も終わりを意識するようになりました。

試験期間が今週末で終わり、そこから約1ヶ月ほどの冬休みです。

冬休みが開ければ新学期で次の学期がぼくにとっては最後の学期となります。

 

ヨルダンの夏休みは6月から始まるのですがその前に試験期間やラマダンが重なるので自身が授業として何かができる期間はもう3〜4ヶ月くらいしかないのです。

 

ぼくが来たこと、そして帰ることによって起こった変化というのはあるのかということをここ最近よく考えたりします。

ぼく一人のたった2年で何かを変えることができるとは思っていません。

だからこそ、ぼくがやることは次に繋がるのかということはよく考えます。

 

じゃあ、次に繋げるためにと考えた時に答えは出ないのだけど少しでも自分が思ったことは良いも悪いも含めて書き残しておくことなのかなって思いました。

それもできるだけ忖度をしない言葉で。

 

思えば、2019年は自分の中に忖度という言葉が付きまとったような気がします。

たくさんのマイナスの感情に襲われることも多くて、それでもそれを言葉にすることはできなくて。

 

話す言葉としての日本語をかなり捨てたのではないかと思います。

特に2019年の9月以降は日本人と会うという機会を最小限に抑えました。

別に時期は特に関係なくてもともと持ってたスタンスに対して状況もそのようになっていったってだけの話。

おそらく、これは帰国するまで変わらないスタンスになるのかなって思います。

 

その分、ネットではよく文章として書いたとは思います。

けれども文章であるから、発信する前のストップが自分にかかります。

自分の中で本当に吐き出したい言葉はほとんど書いてなかったのかなとも思います。

その忖度は組織に属する自分というものもあれば自身の想いを言葉にすることで誰かを傷つけるのではないかという想いもありました。

 

体調もどんどん悪くなっていきました。

これを書いてる今なんか悪い体調のピークなのかなとも思います。

気持ちが体調に露骨に出るタイプなので、その自分の気持ちを上手くコントロールできなかったのも原因だったかな。

体重も5月が68キロだったのが74キロまで増えたし、尿酸値も4とかだったのに8とかになりました。

気持ちの低下は不摂生を加速させます。

 

何がぼくに対してストレスを感じさせるのかなというのは色々考えるけれども、いわゆる海外生活によるストレスともまた異なるのだと思う。

何を人が苦に感じるかというのは人それぞれなのでぼくには他人の苦しみを理解することはできないし、自分の苦しみを他人に理解してもらおうとも思いません。

 

ヨルダンは好きです。

可能であればここに住み続けたいとも思います。

けれども、ぼくが今の「日本人」という立場でい続けることは自分自身を苦しめるのです。

だからこそ、その「日本人」であることを自覚する場所にはできるだけいたくなくて、そういった生活を送ってきました。

そういった何かを見たくなくて、そういった何かを感じるFacebookの投稿をどんどんミュートしてたらいつの間にかぼくのフィードはアラビア語ばかりになりました。

そして、いまだに大半のアラビア語は読めません。

(これの半分は比喩です)

 

ぼくの同僚はぼくのことを「友達」と言ってくれます。

ぼくにとっても大切な人たちになりました。

それでも、まだ理解できないこともたくさんあります。

近づけたくても届かない、目に見えない境界線みたいなものはあります。

それは、日本人の人にも同様に感じてるものだけど、日本人に対するそれよりかは目に見える形で存在してるのかなとも思います。

宗教だったり言語だったり。

 

ぼくは何者かになろうと思って生きてきました。

ここにいることで何者になったかのような気持ちもありました。

蓋をあけてみればぼくという人間はいつだって変わりません。

ぼくだけじゃなくて他の人とだって変わりはないのです。

 

何にもないってこと それはなんでもアリってこと

生きたい場所に どこでも行ける

 

好きな歌の一節です。

いつも聴いてきたこの歌詞も今まではずっとどこかにゴールがあると思っていました。

「何かがある」という状態がいつかやってくるのだと思っていました。

でも、やはり「何にもない」のです。

また「どこでも行ける」だけなのです。

 

ここまで書いて、自分が何を書いているかわからなくなってきました。

本当は新年の挨拶を書くつもりだったのに。

それでいいんじゃないかなって思ってます。

 

昨年はほとんどにおいて「発信は気をつけよう」と思いながら言葉を綴ってきました。

今年はその忖度をできるだけやめようかなって思います。

 

それでどうにかなっても、もう失うものもないからね。

 

そんなかんじ。