為せば成る、為さねば成らぬ、何事も

ヨルダンのパレスチナ難民キャンプの小学校にて音楽を教えてました。

2019年の授業を終えて

先日で授業も2019年の授業が終了した。

とは言えここから1月の中旬までは学校は試験期間となるので年末年始感は全くない。

1月1日くらいは祝日として休みになるが日本の正月のように大きく騒がれることもなくヨルダンでは特に普段と変わらない年末年始となる。

 

ぼくは日本人であるためやはり年の変わり目は節目と感じるので、本来なら教師生活を振り返るのであれば試験期間も終わって冬休みになるタイミングでするべきかなとも思うのだけどやはり年末はそう言う気分にさせられるのでここに筆をとった次第である。

振り返りたいことはたくさんあるのだが今の時点で言えないこととかも多いと感じてるので学校生活に絞る。

それ以外のことはヨルダンの生活が終わった時にでも振り返ろうかと思う。

 

なお、ここに書く内容はぼくが誰に見られても構わないと感じるものである。

意外と現地の先生たちも翻訳などを使用してぼくのブログだったり見てたりする。

流石にアラビア語で書くのは骨が折れるのでしないけど問題点を共有するきっかけになることも期待している。

 

 

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ヨルダンの学校は9月に新学年が始まり9月〜1月と2月〜6月の学期に分かれてそれぞれの学期末には試験があってその後で長期休暇となる。
夏休みは約2ヶ月半、冬休みは約1ヶ月である。

ぼくが学校に赴任したのが去年の11月なので今回で3期目が終わるということになる。

 

1期目

1期目は11月中旬という中途半端な時期に入ったこともあり様子見の学期だった。
英語の授業の手伝いをしたり、時々音楽のアクティビティをしていた。
まだこの時期は音楽の授業は時間割として定まっていなかった。

 

正確には公式な時間割にはあったけど音楽の授業はされてない状態。
もともと先生たちも音楽のコマを他の授業に充てるつもりでいたわけだから、音楽の授業の時間を取ってくれるクラスと取ってくれないクラスがあった。
時間も定まってなくて学校に行って初めて音楽ができるかわかるという状態だった。

 

そんな感じで試験期間となり冬休みとなった。
1ヶ月くらい学校にいた訳だけどこの時は何ができそうで何ができなさそうなのかはまだ掴めていなかった。

 

 

2期目

2期目が始まると学校で音楽の時間割を組むのが難しいという話を当時の校長先生からされた。

授業を組む余裕はないので時々レクリエーションのようにやってくれという話だった。
もし、他の学校でできそうなところがあればそっちに移っても構わないという話にもなった。

 

すぐに別の学校を探して翌日にはもう一つの学校の校長先生に会いに行った。
その日のうちに音楽の授業の時間割をがっちりと組んでもらった。
まさかの任地変更であった。

と思えば前の学校の先生から連絡がある。

 

その先生が言うには実際は音楽の授業を入れる余裕は作れると彼は感じてておそらく他の先生もできるはずだとのことだった。彼は他の先生に掛け合ってくれてきちんと授業として音楽ができるように調整してくれた。
このようなことから任地変更ではなく午前と午後に2校通うというスタイルとなった。

 

両校とも音楽の授業をなかなかさせてもらえない先生もいたけど概ね時間割通りに所謂学校の先生らしく授業をすることが2期目からはできた。
ここからやっと授業内容の模索が始まった。

 

この期間にやっていたことはブログに記録してるのでここの振り返りは容易い。

電子ピアノを両校に置くことができたのでそれで伴奏して歌を歌ってみたり、小さな打楽器類を買ってリズムアクティビティをしてみたり。
思いつくことは色々やってみた。

 

夏休み

3期目に入る前の長い夏休み。
難民キャンプ内の女性支援センターで音楽の授業をすることになった。
イメージとしては公民館の短期教室みたいなものだ。

音楽の他にも別の先生が英語教室をしたり、空手教室をしていた。

 

www.stevekaufmann.xyz

  

楽器もセンター長と何が子どもたちに良いかを相談し、一緒に買いにも行った。
学校に比べると生徒の数も少ないので打楽器類に加えて鍵盤ハーモニカを買った。

鍵盤ハーモニカを扱うのは初めてなのでぼく自身もワクワクした。

 

そこでの活動は同僚としてヨルダン人の学生ボランティアの女の子と一緒にやった。
すごく協力的だったので物凄い助かった。

自分のやること自体にも理解を示してくれて、おそらくあの子はぼくと同じ音楽の授業はできると思う。

 

鍵盤ハーモニカをセンターで扱ってみて教材としていいなと感じた。
音程も可視化されやすいし、何より子どもたち自身が楽器に向き合うということができるからだ。

だから夏休みから鍵盤ハーモニカを集め始めた。

 

3期目

3期目が9月から始まったけど最初の方は新学年ということもあり、時間割も中旬くらいまで定まらなかった。
「夏休みも活動してたしな」と思って9月の序盤は一週間くらい休暇をもらってペトラ行ったり、紅海行ったりした。

 

9月中は鍵盤ハーモニカも引き続き集めてて色々とお店を巡ってアンマン市内の鍵盤ハーモニカをひたすら買い占めた。
10月の初頭には100個近く集めることができたので半分ずつそれぞれの学校に置いて3期目は鍵盤ハーモニカに明け暮れることになった。

 

 

学校の先生のこと

先生に関して、全体的にはとてもぼくに理解を示してくれるし、やりたいことはやらせてくれる。

が、音楽の授業ということに対しては少し難しい。
音楽の授業に反対はしないが自分がやるという意識を持ってるという先生は少ない。(数人はいる)

けれども先生自身も学校教育として音楽の授業は受けてないし、教員養成の課程の中にも音楽は無かったわけなのでしょうがないのかなとも思う。

逆の立場になった時にぼくが例えば美術の授業やれって言われたらやらないと思う。

美術の名目で世界史とか教えると思う。

 

ぼくがいなくなった後で彼らが音楽の授業をするようになるかということに関しては恐らくぼくがどんなにうまく技術伝達が出来たとしてもやらないだろうとぼくは思っている。

それは別に彼ら自身の意識が低いわけじゃなくて、単純にうまくできるかわからない上に教育効果が高いとは考えられてない音楽を授業するよりかはやり慣れてて教育効果が目に見える国語とか数学の授業しちゃうよねって話。

先のぼくの美術と世界史の例のように。

 

だからこそ、必要なのは小学校全科(便宜上「全科」と呼ぶ)の先生への教授法の伝達よりかは音楽専科の先生が増える方がいろんな都合はいいと思う。
これはぼくが何かできるって問題でもないんだけど。

 

せめて、音楽の授業への理解でもしてもらって且つ少しでも授業をしてもらうという点で一番取っ付きやすかったのも鍵盤ハーモニカだったと思うのでそれはこれからも扱っていきたいし、先生自身がやりやすいようなYouTubeコンテンツも作っていく。

 

 

外国人としてのぼく

学校に外国人がいるって環境に子どもたちも慣れた。
高学年の子とかだと少しは英語で会話するし、日本語も少し覚えてくれたりするのは嬉しい。

低学年だと表現少ないから会う度にWhat’s your name?って聞いてくるけど。

 

What’s your name?は名前を尋ねる表現ではない。
ただの挨拶なのだ。

あまりに繰り返されるものだから最近はイブン・シーナーとかケイスケ・ホンダを名乗ってる。

 

Fuck you!とかもよく言われるけど、これも別に彼らとして少ない語彙の中での挨拶の一つでしかないのだ。

流石に怒るけど。

 

9月に新学年が始まってからぼくが近づく度に泣き出す1年生の子がいた。

理由は「外国人は怖い」ということ。
普段怖れを知らない子どもたちと接していると忘れがちですが普段見かけない顔付きをしてる外国人は怖いものなのかもしれない。

先週からやっと手を振ってくれるようになったけどね。

 

高学年から中学生くらいだとからかわれることも多かった。
ぼくに限らずみんなそういうものらしい。

ぼくが違うのはからかってくる子ども以上にぼくの方がウザかったってことだろうか。

 

「マネー」と言ったのに「ギブミー・マネー!!!」と数倍のウザさで返してくる外国人は逆に面倒臭いと感じたのかそう言うことを言われることはなくなった。

逆に低学年の子がぼくが本当にお金が欲しいと思ってるのか小銭を渡してくるようになった。

そうじゃないんだけどな。

 

 

喧嘩をする子どもたち

子どもたちはしょっちゅう殴り合いの喧嘩をしてる。
殴り合いを見ない日は無い。
泣きながら殴り合ってる。

終わるとケロッとしてる。
遺恨が残ってる様子は無い。

 

むしろ、日本の子どもたちが何故殴り合いをしないのかと問われた時に答えられなかった。

その分ねちっとしたイジメとかがあるけどそれは上手く説明できなかった。

教員へのカレーいじめの話題もしたけど彼らには理解してもらえなかった。
いや、ぼくもよく理解できないけど。

 

 

待つことができない子どもたち

子どもたちは「待つ」ということができない。

例えば何かの発表をするときに一人一人順番でやろうとしてもすぐに「オレ!オレ!」と割り込んでくる。
他の人がやっていても平気で割り込もうとしてくる。

 

でも彼らからしたら待っていて自分に順番が回ってくる保証なんてどこにも無いのかもしれない。
チャンスみたいなものは待つのではなく自分から掴みにいかないと得られないものなのかもしれない。

 

そう考えると逆にぼくらは何故待つのだろうか。

自分の順番が回ってきて「与えられる」保証なんて本当はどこにもないのに。

何の疑問も持たずに「待つ」ことができるのは日本の教育がもたらしたある種の洗脳なのかもしれないなと思った。

 

待っていて自分の番が回ってくるとは限らないのだ、年金とかをはじめとして待てば自分の番が回ってくると思っていて黙っていたツケというのは日本社会にたくさんあるような気がしないでもない。

 

ちなみに一度女性センターで大人のお姉さま方に鍵盤ハーモニカを教えた時も同じようになったので子どもだけの現象では無いと感じた。

 

 

聴く態度

ぼくが音楽を演奏する時、子どもたちは平気でおしゃべりをする。

なんなら演奏をしているのに握手を求めてきたり、話しかけてきたりする(その上、「なんで無視するの!?」みたいに言われる)

演奏をしている最中にギターの弦を触られたり鍵盤を押されることも決して少なくはない。

 

大人相手でも流石に楽器に触られることはないけど演奏中に話しかけられたり握手を求められることはある。

もちろん、ぼくの演奏が面白くないというのもあるのかもしれないけど。

 

SUGIZOさんの先日の中東でのライブのインタビューでもライブを見る際の音楽リテラシーのことに触れられてた。

https://news.yahoo.co.jp/feature/1514
どこまでの状態であったのかまでかはわからないけどなんとなく想像はできる。

 

とはいえ音楽を聴く際の態度ということに関して思うところはあって「静かに聴きましょう」が必ずしも正しいことだとはぼくは思わないのだ。

 

演奏を聴いている時に物音を立てることやスマホのライトが気になるという由の意見を見ると聴き方ってなんだろうなって思うし、なんか面倒だなってぼくは思ってしまう。

その聴き方というものが不文律として存在するライブやコンサートというものをぼくは好きじゃない。

 

ぼくはぼくの考えと相反することは言えないタイプなので(だから日本の高校教員は辛かった)子どもたちには「どんな聴き方をしてもいいけど演奏を止める聴き方はしてはいけない」と言ってる。

それがぼくにとっては演奏する立場としては一番望むことだからだ。

 

 

今後のこと

これから冬休みに入って2月から4期目が始まる。

ぼくの任期は9月末までなのだけど9月も半分は授業できないことを考えると実際はぼくにとって最後の学期である。

 

次の学期は2月中旬から6月中旬と4ヶ月ほどになるけど6月はもう試験期間だし、今年はラマダンも去年よりも早く4月の後半にはラマダンとなるので実質まともに授業ができるのは2ヶ月ほどになる。

もうちょっとできるかもしれないけど確証はない。

 

そういう背景もあって学校を休んだり、授業を減らしてしまうようなお誘いというものは断ることにしてる。

公人という立場ではあるので断ることができないものがあるのはすごくもどかしいし、イライラすることも多いけど、それは責任と思って飲み込むしかない。

ここに関してはこれ以上書くとどこかから怒られそうだからこの辺にする。

 

残りの短い時間、新しいことも特別なことも子どもたちにできないし、今もう決めていることが一番大事だとわかってるけどその一つ一つを大切にして臨んでいきたい。

月並みな言葉だけど。