為せば成る、為さねば成らぬ、何事も

ヨルダンのパレスチナ難民キャンプの小学校にて音楽を教えてました。

ヨルダンのパレスチナ難民キャンプでギターを弾いて

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写真は活動先のキャンプに向かう途中の坂道で早朝に撮ったもの。

 

学校内や活動先での写真撮影は控えているのでせめてこんな写真くらいは。

 

「難民キャンプ」というとテントが沢山あるようなものを想像したりするけど、そういうものではなく基本的にはちゃんと家が建っている。

 

パレスチナ難民のためのキャンプであるため、ここにいる「難民」と言われる人たちは大分長くここに住んでいるのでしょう。

 

ここでいう「パレスチナ難民」とは「1946年6月から1948年5月にパレスチナに住んでおり、1948年の第一次中東戦争(イスラエル・アラブ戦争)の結果、住居村及び生活手段を失った人」と定義されていて、その人たちの子どもたちも難民とされます。

 

そういったバックグラウンドを持つ人たちの住む場所で活動をさせてもらっています。

 

触れていいのかわからず、この「難民」ということに関して同僚などからそういう話は聞けずにいます。

 

もしいずれ聞く機会があればそういった考えも聞いてみたいなと思っています。

 

 

今日は活動先の小学校で生徒の前でギターを弾く機会をいただきました。

 

アコースティックギター一本で弾き方りとソロギターを合わせて5曲ほど。

 

最初は「Helwa Ya Baladi」というアラビア語の曲を弾きました。

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この国ではタクシーの運転手に聞いても同僚に聞いてもみんな知ってる曲のようで同僚の先生も歌ってくれる。

 

とはいえ流石に子どもたちは知らない様子だった。

 

その後は「枯葉」や「イパネマの娘」や「Feel like makin' love」など弾き慣れた曲をソロギターで演奏しました。

 

流石に曲名については触れない笑

 

 

最後は弾き語りでいきものがかりの「ありがとう」を演奏する。

 

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演奏する前に日本語の「ありがとう」の意味を子どもたちに説明する。

 

演奏が終わった後は子どもたちから「ありがとう」の嵐。

 

流石にこれは嬉しい。

 

 

 

普段の授業の様子を見てると授業中でも立ち歩いたり騒がしかったりするので演奏してるときも同じ感じかなーと演奏する前は思っていました。

 

しかし、その予想は裏切られみんな静かにまじまじと聴いてくれました。

 

こんなにも真剣に自分の演奏を聴かれるのは初めてなんじゃないかと思うくらい真剣に。

 

それがとても嬉しかった。

 

 

同僚から後で話してくれたのですが

 

「この地域(難民キャンプ)の子どもたちは生の音楽に触れる機会は非常に少ない、そういった意味でこういった体験は非常に貴重なんだ」

 

という話をもらいました。

 

 

確かに学校の音楽の授業でもみんなで歌う機会はあれども「音楽を聴く」っていうことはない。

 

かといって日常においてもテレビなどでは聴けるが生の音楽というと中々機会がない。

 

ヨルダン自体も僕自身が探し回ってるからライブカフェなどを見つけられてはいるけど、やはり日本に比べると非常に少ない。

 

僕自身この二ヶ月探し回ったけど2、3件しか見つけられていない。

 

 

 

eiga.com

 

LUNA SEAやX JAPANのギタリストであるSUGIZOさんも一昨年にヨルダンの難民キャンプを訪れて活動している。

 

先日もパレスチナに訪れて活動をしていた。

 

今日まではSUGIZOさんの音楽活動をすごいなと思いつつも「現地の人に本当に受け入れられているのか」とか「難民キャンプに来てライブをすることが支援になるのか」とかは自分の中でモヤモヤしていた。

 

昨年まで東北にいて様々なアーティストが被災地支援としてライブをしに来るのを見ていたのでそれに関して是も非も感じていたので尚更。

 

けれども、実際に自分がキャンプ内で活動をしていてこういった風に自分の役割を持ち寄って何かをすることは意味があるのだと感じた。

 

もちろん、難民の彼らに対して「他には何か出来ないか」という焦燥感や無力感を感じることもある。

 

この先も自分にできることが何があるかはわからないけどできるだけの自分ができることをこの場所でしていきたいと考えてる。